亡代表取締役の相続人に対する株主代表訴訟と、相殺・代物弁済・弁済による相続債務の消滅―東京地方裁判所平成26年9月10日判決

酒類・食料品の販売等を営む特例有限会社で、設立時から代表取締役であった人物が死亡した後、その妻である株主が、会社に代わって、亡代表取締役の前妻との子である取締役に対し、亡代表取締役が会社から借りていた貸金債務のうち相続した5722万6523円の支払を求め、その子で代表取締役である孫に対し、社員総会の認許を受けずに亡代表取締役に貸し付けたことの任務懈怠による損害賠償を求めた株主代表訴訟の判例です。
東京地方裁判所平成26年9月10日判決は、相続した取締役が会社に対して有していた貸金債権との相殺合意と相殺、不動産による代物弁済、現金による弁済、未払賃料債権による相殺により、相続債務はすべて消滅したと認めました。その中で、継続的に作成され確定申告書等とも整合する会計帳簿は類型的に信用性が高いこと、代物弁済の目的物の価値が債務の額を下回っても債務の全額が消滅し、責任の「免除」には当たらないことを示しました。相続債務が消滅した以上、代表取締役に任務懈怠があったとしても会社に損害はないとして、請求をいずれも棄却しました。
裁判例の基本情報
| 審級 | 裁判所 | 裁判日 | 事件番号 | 裁判の形式 | 結論 |
|---|---|---|---|---|---|
| 第一審 | 東京地方裁判所 | 平成26年9月10日 | 平成24年(ワ)第28293号 | 判決 | 請求をいずれも棄却。訴訟費用と補助参加により生じた費用は株主の負担 |
控訴の有無及び判決の確定は、確認できていません。判決本文から関連する審級の判決は確認できていません。この表は、判決本文の冒頭、主文及び末尾の記載に基づいて当事務所が作成したものです。
当事者の表記
判決に出てくる会社名・氏名は、本記事独自のイニシャルや一般的な呼び方に置き換えています。判決が用いた「原告」「被告」「参加人」等の呼称や符号も、そのままでは使わず、次の表記に置き換えています。判決本文を引用する部分でも同じ表記に置き換え、置き換えた箇所を〔 〕で示しています。
| 本記事の表記 | 立場 |
|---|---|
| 株主WKS氏 | 原告です。亡代表取締役の妻で、対象会社NSKの株式1559株を保有する株主です。平成5年に対象会社NSKの取締役に就任しています |
| 取締役HRT氏 | 被告です。亡代表取締役と前妻との間の子で、昭和38年に対象会社NSKの取締役に就任しました。亡代表取締役の対象会社NSKに対する債務の2分の1を相続しました |
| 代表取締役MSY氏 | 被告です。取締役HRT氏の子で、平成7年に取締役、平成13年に代表取締役に就任しました |
| 対象会社NSK | 被告らの補助参加人です。昭和32年に設立された、和洋酒類・食料品の販売及び輸出入等を目的とする特例有限会社で、発行済株式総数は1万5000株です |
| 亡代表取締役 | 訴訟の当事者ではありません。対象会社NSKの設立時から取締役兼代表取締役で、平成21年4月25日に死亡しました |
| 経理の担当者 | 訴訟の当事者ではありません(証人として尋問を受けています)。対象会社NSKの帳簿の処理をしていました |
事案の概要
亡代表取締役に対する会社の貸付けと相続
対象会社NSKは、平成17年10月6日、亡代表取締役に1億1387万9946円を弁済期の定めなく貸し付けました。その後の利息の合意、相殺の合意、立替払等を経て、対象会社NSKの亡代表取締役に対する債権は1億1445万3047円となりました。取締役HRT氏は、亡代表取締役の死亡により、その2分の1である5722万6523円と年6分の遅延損害金の債務を相続しました。対象会社NSKは、もう一人の相続人である株主WKS氏に対しては、平成22年6月に貸金等の支払を求める別件の訴えを提起し、請求を全部認める判決を受け、控訴審でもその判断が維持されました。
提訴の請求と株主代表訴訟
株主WKS氏は、平成24年8月3日到達の書面で、代表取締役MSY氏に対し、取締役HRT氏に対する貸金の返還請求の訴えと、貸付けを決定し実行したことについての代表取締役MSY氏の責任追及の訴えを提起するよう求めました。対象会社NSKが60日以内に訴えを提起しなかったため、株主WKS氏は、同年10月4日、会社法847条に基づき本件の株主代表訴訟を提起しました。
取締役HRT氏による相続債務の処理
取締役HRT氏は、長年にわたり対象会社NSKに貸付けをしていたことから、その貸金債権との相殺合意(1000万円)と相殺の意思表示(700万円)をし、平成18年に対象会社NSKから2000万円で買い受けていた土地建物を、不動産鑑定士の価格調査に基づく3440万円の評価で代物弁済とし(対象会社NSKの株主総会の承認決議を経ています)、1281万1430円を入金し、亡代表取締役から相続した未払賃料債権28万5000円による相殺もしました。これらは、本件の訴えの提起の前後にわたって行われています。
事案の経緯
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 平成17年10月6日 | 対象会社NSKが亡代表取締役に1億1387万9946円を貸し付ける |
| 平成18年12月1日 | 対象会社NSKが、取締役HRT氏からの借入金の返済に充てるため、土地建物を簿価に基づく2000万円で同氏に譲渡 |
| 平成21年4月25日 | 亡代表取締役が死亡。取締役HRT氏が貸金債務の2分の1(5722万6523円)を相続 |
| 平成24年3月6日 | 取締役HRT氏が対象会社NSKの口座に900万円を入金(借入金として処理) |
| 平成24年7月31日 | 取締役HRT氏と対象会社NSKが1000万円の相殺を合意 |
| 平成24年8月3日 | 株主WKS氏の提訴の請求が到達 |
| 平成24年10月4日 | 株主WKS氏が株主代表訴訟を提起 |
| 平成24年11月7日 | 3440万円の評価による代物弁済の合意。対象会社NSKの株主総会が承認 |
| 平成25年1月 | 700万円の相殺の意思表示(11日到達)、1281万1430円の入金(15日)、代物弁済による所有権移転登記(16日) |
| 平成26年2月18日 | 未払賃料債権28万5000円による相殺の意思表示 |
| 平成26年9月10日 | 東京地方裁判所が請求をいずれも棄却 |
当事者の請求と主要な主張
| 争点 | 株主WKS氏の主張 | 取締役HRT氏・代表取締役MSY氏の主張 |
|---|---|---|
| 相殺の自働債権 | 帳簿に借入金が計上されているだけで、900万円の入金も貸付けか疑わしい | 10年以上前の決算から帳簿は一貫しており、自働債権をねつ造した形跡はない |
| 代物弁済 | 土地建物は1千数百万円程度の価値しかなく、3440万円とするのは約2000万円の責任の免除であり、総社員の同意がないから無効である。代表訴訟の提起後の処分も許されない | 不動産鑑定士の価格調査を経た適正な評価である。代物弁済の目的物の評価が債務の額を下回っても、債務は消滅する |
| 代表取締役の任務懈怠 | 社員総会の認許のない利益相反の貸付けであり、唯一の代表者として認許を得ておくべき義務があった | 認許を受けるべきは亡代表取締役であり、自分は貸付けに具体的に関与していない。相続債務は全額返済され、会社に損害はない |
お手元の資料と経緯をお聞きし、進め方の順序をお示しします。
結論を左右した争点
判決の結論を左右したのは、代表訴訟で支払を求められた相続債務が、取締役HRT氏の相殺・代物弁済・弁済によって消滅したかどうか、特に、相殺の自働債権の根拠となった会社の帳簿の信用性と、評価額をめぐって争いのある代物弁済の効力です。
裁判所の判断
継続的に作成された会計帳簿は類型的に信用性が高い
判決は、対象会社NSKの総勘定元帳や補助元帳に、取締役HRT氏からの借入れと返済が平成13年ころから各事業年度にわたって継続して記載され、確定申告書にも同じ期末残高が計上されていることを詳しく認定したうえで、次のとおり述べました。
「会計帳簿は、日常の業務の中で起こった事実に即して、継続的かつ連続的に途切れることなく、通常一般の会計処理方法に従った記載方法によって記載されている場合においては、類型的に信用性が高いものということができる」
そして、対象会社NSKの帳簿は継続的かつ連続的に作成され、確定申告書、預金通帳、各種伝票等とも整合しているとして、1000万円の相殺合意と700万円の相殺を認めました。900万円の入金が貸付けか疑わしいとの主張についても、その前後に多数回の貸付けが繰り返されていたことから、金額が多いことだけでは貸付けであることを否定できないとしました。
代物弁済は、目的物の価値が少なくても債務の全額を消滅させる
株主WKS氏は、代物弁済は差額について旧有限会社法の責任の「免除」に当たり、総社員の同意が必要であると主張しましたが、判決は、次のとおり述べて、この主張を退けました。
「代物弁済において、本来の給付と他の給付とが同価値である必要はなく、他の給付が本来の給付より価値が少ない場合であっても、超過額について債務免除を要することなく、債権全額が消滅することとなる。」
判決はさらに、土地建物は平成18年に当時の簿価1887万6734円を根拠に2000万円で譲渡されたもので、代物弁済の当時その価額が2000万円を下回るとは直ちに認められず、3440万円との間に差額が生じていることを認める明確な証拠もないとしました。
弁済と未払賃料債権による相殺も認め、相続債務は消滅した
判決は、1281万1430円の入金と、未払賃料債権28万5000円による相殺も認め、相殺合意、代物弁済、弁済及び相殺により相続債務は消滅したと判断しました。権利濫用の主張については、判断を要しないとしました。
損害がない以上、代表取締役の責任も生じない
判決は、相続債務が消滅した以上、貸付けについて仮に代表取締役MSY氏に任務懈怠があったとしても、対象会社NSKに損害が生じているとはいえないとして、代表取締役MSY氏の損害賠償責任を否定しました。
主文及び結論
判決は、株主WKS氏の請求をいずれも棄却し、訴訟費用と補助参加により生じた費用を株主WKS氏の負担としました。
| 主張 | 判断 |
|---|---|
| 相殺合意(1000万円)・相殺(700万円) | 会計帳簿は信用性が高いとして、自働債権の存在を認め、いずれも認める |
| 代物弁済(3440万円) | 目的物の価値が少なくても債務の全額が消滅し、「免除」には当たらない。差額の存在も認められないとして有効 |
| 弁済・未払賃料債権による相殺 | いずれも認める |
| 取締役HRT氏に対する請求 | 相続債務は消滅したとして棄却 |
| 代表取締役MSY氏に対する請求 | 会社に損害がないとして棄却 |
判断の射程
参考となる点
- 株主代表訴訟で役員の会社に対する債務の履行を求められた場合でも、相殺・代物弁済・弁済によって債務が消滅していれば、請求は認められないことが示されています。代表訴訟を受けた側は、債務の消滅を一つずつ証拠で示すことが重要です。
- 役員と会社の間の貸し借りを示す会計帳簿が、長年にわたり継続的に作成され、確定申告書や預金通帳等と整合している場合には、類型的に信用性が高いとされました。同族会社の役員と会社の貸借は、日ごろから帳簿と伝票で記録しておくことが、後の紛争で意味を持ちます。
- 代物弁済の目的物の価値が債務の額を下回っても、債権の全額が消滅し、役員の責任の「免除」には当たらないとされました。
- 債務が消滅すれば会社に損害はないとして、利益相反の貸付けについての代表取締役の任務懈怠の有無を判断するまでもなく責任が否定されています。
一般化できない点
- 本件の代物弁済は、不動産鑑定士の価格調査に基づく評価で、会社の株主総会の承認決議も経ていました。評価の根拠や会社の手続が欠ける場合、評価が明らかに過大な場合には、判断は異なり得ます。
- 判決は、代表訴訟の提起の後に会社と被告の役員の間でされた代物弁済等が許されるか、株主間の差別的な取扱いに当たるかという株主WKS氏の主張について、個別には述べていません。
- 本件は旧有限会社法の規定が問題となった特例有限会社の事案です。本判決は第一審の判決で、控訴の有無と確定は確認できていません。
よくあるご質問
株主代表訴訟で役員の会社に対する借入金の返済を求められました。訴えの途中で返済すれば、請求は認められなくなりますか。
本判決では、訴えの提起の前後にされた相殺合意、相殺、代物弁済、弁済によって相続債務はすべて消滅したと認められ、請求は棄却されました。債務の消滅を示す合意書、振込の記録、帳簿の記載等をそろえておくことが重要です。
会社の帳簿に記載された役員からの借入金は、裁判で信用されますか。
本判決は、日常の業務の中で継続的かつ連続的に途切れることなく、通常の会計処理の方法で記載された会計帳簿は類型的に信用性が高いとし、確定申告書や預金通帳等との整合も確かめたうえで、役員の会社に対する貸金債権を認めました。
不動産で代物弁済した場合に、評価額が高すぎると言われたらどうなりますか。
本判決は、代物弁済では目的物の価値が債務の額を下回っても債務の全額が消滅するとしたうえで、評価額との間に差額があることを認める明確な証拠もないとしました。もっとも、評価の根拠を示す鑑定や価格調査、会社の承認の手続を整えておくことが大切です。
代表取締役が社員総会の認許なく役員に貸付けをした場合、必ず責任を負いますか。
本判決は、貸付けの債権が回収されて会社に損害がない以上、仮に任務懈怠があったとしても損害賠償責任はないとしました。責任の追及を受けた場合は、任務懈怠の有無とともに、会社の損害の有無を検討することになります。
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